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2013/8/1 17:28 [ 1811hit ] [  イベント・観光  ]
北里柴三郎の里・小国
北里柴三郎の里・小国
 小国には歴史的偉人が生まれています。北里柴三郎です。血清療法の確立でコッホやパスツールを驚嘆させ、免疫学を開き伝染病治療に道を開いた柴三郎は一八百五三(嘉永五)年、アメリカのペリーが来航した年に小国町北里で生まれました。
 惣庄屋の子として父母に厳しく教育され、熊本医学校から東京医学校(後の東大)へ進学。卒業後、内務省衛生局に勤め、一八百八六(明治十九)年から六年間ドイツに留学。病原微生物学の父と言われたローベルト・コッホに師事して研究に励みました。当時、欧米で不可能とされていた破傷風菌の純培養に挑戦。さらに血液中に抗毒素(免疫体)を発見し、血清療法を確立させました。この行跡から、一九〇一(明治三四)年、日本人で初めて第一回ノーベル賞医学・生理学賞候補となり最終選考まで残りました。明治維新からわずか二十余年で挙げた出来事です。

 
近代医学の父と呼ばれた柴三郎

 帰国した一八九二(明治二五)年、福沢諭吉らの援助で伝染病研究所を創立。直ちにジフテリア、これらなど伝染病の血清治療をはじめました。翌年、日本で初めての結核療養所「土筆ヶ岡養生園」を設立しました。さらに翌年の一八九四(明治二七)年、香港へ派遣されペスト菌を発見。この年、小国の両親を東京へ呼び、一緒に暮らし始めます。
 柴三郎の伝染表研究所は、コッホやパスツールの研究所と肩を並べるまでに発展しますが、後進の育成にも力を入れ、門下生に赤痢菌を発見した志賀潔、梅毒治療薬の秦佐八郎、野口英世などを輩出。慶応大学医学部創設にも尽力します。
 そして一九一六(大正五)年、郷里の青少年のために私財を投じ北里文庫を設立。現在、生家と北里文庫は北里研究所・北里大学の手で修復公開されて偉業を伝える展示室となっています。
 「医者の使命は病気予防にある」と志を立て、終始一貫、公衆衛生と予防医学に一生を捧げ、日本の医学を世界水準まで高めた北里柴三郎は、一九三一(昭和六)年、七十八年歳で生涯を閉じました。            
 

 

http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/284929/cyber.pref.kumamoto.jp/renmei/magazine_terakoya/Number_152.htm

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